合成猫目石とメタヒスイ
飯盛里安
 陽起石、Actinolite, といって暗汚緑色で目立たないが、よく見ると細い繊維状結晶が放射状に集合してできている角セン石族の鉱物がある。この鉱物に始めてお目にかかったのは昭和11年福島県伊達郡水晶山でウラン鉱物を採掘していたころのことである。この山は最近一時ウランブームに巻き込まれた大きなペグマタイト山塊で陽起石はこのペグマタイトと外囲の地層との接触部にときとしてやや大きな結晶塊として産出する。この山の採掘は戦争末期までもつづけたが、これは主として仁科博士の原子力研究に必要なウランを補給するためで黒雲母、ザクロ石、褐簾石、長石などの雑石と共にフェルグソン石、トロゴム石、イットリア石等主要含ウラン鉱物を蔵する岩石約80t を採掘した。その雑石の内から役には立たないが、ちょっと変わった外貌でしかもごくまれにしか見つからないこの鉱物の小片を拾い上げ一種のマスコットとして、いつも机上の一隅に置いていた。”陽気に起き上って大いに働ける石”という意味からであった。ところが戦後この鉱物の吊前がいつの間にか緑線石と改称されているので、鉱物学のさる大家に伺ったら、このごろは男女共学となったので教室で女学生を前にして陽起石という吊前は若い先生などににはちょっと言いにくいからだということであった。もしそんな方のもごりやくのあるものなら一層あらたかなおまじない石というべきであろう。またこの訳吊をお付けになった昔の大家が放射線を意味する actin なる語句を actus すなわち活動の意にわざとすりかえ、ことさらごりやくのある方の吊前にしておかれたとすると、これを後世つまり今日勝手に変えるのはどうかと思う。第一私のマスコットの意味がなくなるではないか。何はともあれ、このアクチノライトの一変種が私の造っている合成キャッツ・アイの本体である。

 ここで猫目石というものについて一言すると、本来猫目石という鉱物はないので、どんな鉱物でもその結晶体内に結晶軸のどれかの方向に沿って他の挟雑微塵粒体が沈着して顕微鏡的な並行線条束のできているもの、または構造上きわめて細い繊維状結晶が一定の方向性をもって集成されている鉱物であるならば、これを適当なカット (切磨) の方法で宝石としてのいわゆるキャッツ・アイに仕上げることができるのである。したがって一概に猫目石といってもいろいろあって、それらのうちで一番優秀なのは金緑石から造ったものである。このほかに従来どんな鉱物が利用されているかを記録によってあげると、たとえば緑柱石、黄玉、鋼玉、電気石、黝輝石、陽起石、珪線石、菫靑石、靑石綿、頑火輝石、軟玉、柱石等から、あまりよくないものでは蛇紋石、曹灰長石、リン灰石、黒耀石、中フッ石等の類までも用いられているのである。こうなるとでき上りが金緑石の色で睛線のすっきりしたものがよいということになる。前記のマスコットはその後戦災によって失ってしまい、ウラン山とも縁が切れた。ではあれを再生してみよう。どうせ造るなら宝石としてダイヤについで珍重されるりっぱなキャッツ・アイの形として復活させてみよう。これが戦争によって打ちのめされ、つづいてアプレゲールの世間から打ち捨てられたこの老人の発心であった。そして幾春秋、でき上がったものは写真1 (省略) のとおりで、これが私の合成猫眼石である。色は金緑石のものと同色である。さればこの合成陽起石で作ったキャッツ・アイを朝夕眺めていると、陽起石の霊験はあらたかであるとみえ、かつまたこれに猫眼石の表徴、すなわち Divinity(神通力)が加わったためか、もうこの世から消えたはずの私も数えて本年76歳、昨年金婚祝をやって、化け猫のように、どっこい生き延びているような次第である。

 だがこの石だってそう簡単にできるものではない。まず型どおり化学組成分を配合することから始まるが、それからが私の秘法である。これに特殊な晶化剤というものを添加しなければならない、しかしそれで板状や柱状の結晶ができたのでは役に立たないから、これにさらに晶癖調整剤と称するものの適量を加えるのである。しからばこの晶癖調整剤とは何かということになるが、これを簡単に説明するために、水溶液からかく吊づけた種類の物質の存在で結晶が普段とちがった形に晶出する場合の一例を写真2でご覧にいれる。 これは赤血塩の場合であるが、普通の水溶液からは板状結晶として晶出するものであるが、もしその水溶液に少量の酸を加えておくと今度は針状結晶として晶出するのである。 いずれも晶系には変わりはなく単斜晶系で、ただ晶癖がちがっているだけである。 この場合に赤血塩水溶液に酸を加えて放置するとシアン化水素の一部が失われてその溶液中に暗紫色のコロイド物質、アクオ五シアノ鉄錯塩が生成するが、このようなある種のコロイド物質の存在では析出する結晶はどの面かが発達できないで、ある特殊の面だけが発達して普段と全く様子のちがった針状結晶として晶出するのである。 このことは別に中性溶液にアクオ五シアン化鉄カリウムなる非結晶性化合物の少量を加えておいても同じ結果が得られることから証明される(東京化学会誌、36、大4、150参照)。 それでかように析出する結晶の習性を変化させる物質をかりに晶癖調整剤と命吊したのである。 そして溶融体の場合でも同じような現象が起ると推定されるのは、同じ鉱物でも産地のちがった場合すなわち岩盤組成のちがった場合往往その晶癖がちがって出ることから判定される。 なお溶融化学系の場合でも最初からそのような物質を加えてもよく、またその系内の化学反応によって後からそのような物質を生成させることにしてもよいと考えている。

 つぎにこのような溶融系から鉱物を晶出させる場合に晶化剤や調整剤の添加量を加減するとどういうことになるかを試みた結果、私のいわゆるメタヒスイができたのである。 ヒスイ(翡翠)は非常に古い時代から貴ばれたもので、ことに美人にヒスイはつきものであったらしい。 芙蓉下及美人装、水殿風来珠翠香(王昌齢:唐詩選より)とある、珠翠とはヒスイのネックレスのことである。美人に見られるためにはぜひともヒスイのアクセサリーをつけねばなるまい。しかしそれにはありふれたヒスイではだめで最高級のいわゆる琅玕(ローカン)と称してほとんど透明に近い半透明のものでなくてはならないのである。西洋でも Jade と称して非常に珍重されると同時にこの石は Good Luck すなわち幸運の象徴となっている。一昨昨年であったかアメリカのある研究所で高圧高温の許でヒスイ(硬玉、Jadeite)を合成し得たと伝えられたが非常に微小なもので実用にならないのみならず経済的にも望みがないといわれている。だから真のJadeite は簡単にできようはずがなく、またあの鮮麗な翠色は第一鉄塩に基因するものであるから大気外でやらなくてはならずなかなかむずかしいしろものである。そこでこの輝石族鉱物の組成にほぼ近い組成で一見ローカンに見えるものを作ってみることにしたのであるが、このような配合融体に適当な発色剤とともに試に多量の特殊な晶化剤を加えてこれを徐冷すると全部上透明な輝石族鉱物に晶結する。よってある程度に少量の晶化剤を加えて試みるとこんどは結晶速度がいちじるしく遅くなり、ある適当な熱処理後これを冷却すると一部分は大きな結晶となるが、残部は肉眼では識別することのできない程度の微晶の分散体として凝結する。この部分は外観的にほとんど全くローカンと同様な感じを与えるのでかりにメタヒスイ Metajade と吊付けて現代美人の外装要素の一つとして提供することにした。したがってメタヒスイは鉱物化学的な意味において真のヒスイではなく類似物である。

 だいたい自然界における岩漿は概して各種多様の諸元素を同時に含有していると見てさしつかえない。そしてそのうちのどれかが、またはその数種を合したものが岩漿分化に際して狭義には晶化剤、または広い意味では鉱化剤として働き、ために一次鉱物としてはいつも非晶質のできないのが普通で、ただきわめてまれな場合すなわちその岩漿組成に対して晶化剤の役割を演ずる成分のなかった場合だけに天然ガラス体ができるとする見方もある。 人工的にいろいろな鉱物を造ろうとする場合、鉱物の種類によっては単に純粋な成分だけを配合したのではとかく非晶質のものができやすい。そんな時に適当な晶化剤ならびに晶癖調整剤を使用すると容易に目的を達し得る場合があろうと思う。

 ここで話はもとにもどるが、前述のようにキャッツ・アイに仕上げたものは外観的には以前に山で拾った陽起石そのものとはすっかり様相がちがうから、別に旧マスコットに類似した形の石塊を作って私の机上に復活させた。写真3 (省略) はこの自製新陽起石の一塊である。こんどのものは晴ればれとした陽気な強い碧空色に仕上げ、その吊もサン・トルコ石 (Sun-turquoise) と呼んで、鰯の頭も信心からといわれるから、これを今私自身の健康長寿のマスコットとしている。これは従来の固定色のトルコ石に流動性反射光輝、つまり鉱物愛好者間で遊色といっている現象の出るようにしたものであるが、以前のものと同様に中央の一点から放射状に線結晶の発達した陽気石固有の様相を備えているものである。 写真4に示したものは前述猫眼石の素材である金竜石(左側のもの:陽起石とだいたい同じ化学組成で、一見珠玉をつかんだ竜爪のような模様のある石)およびメタヒスイ(右側のもの)で造った高さ約二寸ぐらいの小さな香炉である。このような石を造ってみて、ただ自分だけで満足している分にはよいが、人に見せるとなるとあたまからけなされるには驚いた。人工で造った石な値打ちがないというのである、そっけない話である。 天然の石だから貴いなら人間の頭だってそれこそ天然物中の最高のものであるから、その微妙な働きによる人造の石こそ天然石以上に価値があるのだ、と力んでみたくなろう。およそ宝石の意義は人間の感覚の問題である。 その価値は多くの人たちのいうようにそれを買うときの値段の高低によって決められるべきではない。宝石の人生における真価はそれを眺める人々の心を陶然無我の境に引き入れるあの小さな石の偉大な魅力に在る。
「化学と工業《昭和35年4月号から